日露戦争後の1905年、第二次日韓協約(乙巳保護条約)に基づいて、日本が大韓帝国の外交権を剥奪し、その政治の実権を握るために漢城(現在のソウル)に設置した統治機関のことです。初代統監には、明治政府の重鎮であった伊藤博文が就任しました。
解説
日露戦争の勝利によって朝鮮半島における主導権を確実なものとした日本は、1905年に大韓帝国を保護国化しました。1906年に開庁した韓国統監府は、当初は外交事務を主に取り扱っていましたが、1907年の第三次日韓協約により内政権も事実上掌握し、韓国の軍隊解散などを通じて支配体制を固めていきました。
この時期の日本は、日清戦争の賠償金を資金源として官営八幡製鉄所を建設するなど、産業構造が軽工業から重工業へと発展を遂げていた時期でもあります。こうした軍事・経済両面での国力増強を背景に、日本は大韓帝国の植民地化(韓国併合)への道を突き進んでいくこととなりました。
コラム
1909年に伊藤博文が安重根によって暗殺されると、日本国内では併合論が加速しました。1910年の韓国併合にともない、韓国統監府は廃止され、より強力な統治権限を持つ朝鮮総督府へと改組・継承されました。八幡製鉄所の稼働に必要な鉄鉱石や石炭の供給ルートの確保など、植民地支配は日本の重工業化を支える経済的な側面も持っていました。