1879年に、明治政府が軍隊や警察の武力を背景として琉球藩を廃止し、日本の地方行政制度の下に組み込むことで新たに設置した県です。
解説
沖縄県の設置は、明治政府が推進した中央集権化と国境画定の一環として行われました。この一連の過程は「琉球処分」と呼ばれます。明治政府は当初、1872年に琉球王国を強制的に「琉球藩」とし、国王を藩王に任命して形式的に日本の一部としました。しかし、清との外交関係が続いていたことや、藩が存続する形では政府の命令が全国に届きにくかったため、より強力な中央集権化を目指しました。
1879年、政府は松田道之を琉球に派遣し、軍隊と警察による威圧的な力を背景に、反対する勢力を抑え込んで沖縄県の設置を宣言しました。これにより、約450年続いた琉球王国は滅亡し、政府が任命した役人が治める地方行政組織として完全に組み込まれることになりました。これは、北の開拓使設置と並び、近代日本の国境を確定させる重要な出来事となりました。
コラム
県が設置された当初、明治政府は島内の反発や清との外交摩擦を避けるため、租税制度や土地制度などを琉球王国時代のまま維持する「旧慣温存(きゅうかんおんぞん)政策」を取りました。沖縄において本土と同様の近代的な制度が本格的に整えられたのは、日清戦争の結果、清が琉球への関与を完全に放棄した後のことでした。