奈良時代とは、710年に元明天皇が平城京へ遷都してから、794年に桓武天皇が平安京に都を移すまでの約80年間を指します。律令制に基づいた中央集権的な国家体制の確立が図られ、唐の長安をモデルとした国際都市・平城京を中心に、仏教による国家鎮護を掲げた国際色豊かな天平文化が栄えた時代です。
解説
政治面では、碁盤の目状に区画された「平城京」が建設され、中央政府による全国的な統治体制が強化されました。都市構造は天皇の住まい(平城宮)から南を見た際の主観に基づき、左側を左京、右側を右京と定義する厳格な都市計画が成されました。また、平城京建設の労働対価や都市部での取引を円滑にするため、「和同開珎」などの貨幣が発行され、全国の国府を繋ぐ道路網(駅制)などの交通インフラも整備されました。
社会面では、天然痘の流行や飢饉、藤原広嗣の乱といった政情不安が相次ぎました。これに対し聖武天皇は、仏教の力で社会を安定させる「鎮護国家」を志し、東大寺の大仏造立や国分寺・国分尼寺の建立を推進しました。この巨大事業には、民衆の支持を集めた僧・行基や渡来人の高度な技術、そして延べ260万人におよぶ労働力が動員されました。しかし、重い税(租・庸・調)に苦しむ農民が口分田を捨てる問題が深刻化し、743年の「墾田永年私財法」によって土地の永代私有が認められると、公地公民制は揺らぎ、貴族や寺社による「荘園」の形成が始まりました。
コラム
文化面では、遣唐使を通じて西アジアやインド、唐の文化がシルクロードを経由してもたらされ、天平文化として結実しました。聖武天皇の愛用品を収めた「正倉院」は、釘を使わず木材を組む「校倉造」によって高い保存性を保ち、当時の国際交流を今に伝えています。また、この時期には『古事記』『日本書紀』といった正史や、日本最古の歌集『万葉集』が編纂され、国家としてのアイデンティティ形成が進みました。光明皇后による「悲田院」や「施薬院」の設置など、仏教精神に基づく初期の社会福祉活動も特筆されます。