学習目安 | 小: S | 中: S | 高: S

平城京

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

710年に、元明天皇げんめいてんのうという天皇が今の奈良県に作った大きな都が「平城京」です。この都は、当時の中国(唐)にあった「長安」という立派な都をモデルにして作られました。街の中は、碁盤の目のように道路がまっすぐ通っていて、とても整理されていました。

都の中心には、天皇が住んだり政治を行ったりする「平城宮」がありました。そこから南に向かって「朱雀大路すざくおおじ」というとても広い道がのびていました。この時代には、シルクロードを通って遠い国々の宝物も集まり、華やかな文化が栄えました。

しかし、都を作るためや、大仏を作るためにたくさんの力が必要で、農民たちの生活はとても苦しかったといわれています。当時の様子は、地面から見つかった「木簡もっかん」という木の札に書かれた文字から知ることができます。

ルラスタコラム

平城京の跡地からは、たくさんの「木の札(木簡)」が見つかっています。当時は紙がとても高価だったので、荷物のふだやメモ書きには木が使われていました。そこには「和歌山県から魚を送りました」といった内容が書かれていて、当時の人たちの暮らしがリアルに伝わってきます。

テストでの問われ方・理解度チェック

【基礎】 平城京が都市計画のモデルとした、当時の唐(中国)の都の名前を答えなさい。
長安(ちょうあん)
【応用】 平城京の地図において、東側が「左京」、西側が「右京」と呼ばれている理由を、視点の主導権に着目して説明しなさい。
地図上の左右ではなく、北にある平城宮から南を向いた天皇の視点に基づき、左手側(東)を左京、右手側(西)を右京と定義したため
【実践】 平城京跡から大量に出土した「木簡」は、当時の地方と中央のつながりを理解する上でどのような役割を果たしているか述べなさい。
木簡は荷札として利用されていたため、どこから、誰が、何の税(調など)を納めたかという当時の物流や行政の実態を具体的に証明する貴重な史料となる

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