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日米修好通商条約

日米修好通商条約

出典: Wikipedia
一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

1858年に、江戸幕府がアメリカと結んだ貿易の約束のことです。この条約によって、日本は外国と自由に商売を始めることになりました。しかし、この約束は日本にとってとても不利な「不平等な内容」でした。

一つ目は、日本で事件を起こした外国人を日本の法律で裁けない「領事裁判権りょうじさいばんけん」を認めてしまったこと。二つ目は、輸入品にかける税金を日本が決めることができない「関税自主権かんぜじしゅけん」がなかったことです。

この条約をきっかけに、横浜などの港が開かれ、たくさんの品物が売り買いされるようになりました。しかし、急に品物が足りなくなって値段が上がったり、日本の金が外国へ流れ出したりして、人々の生活は苦しくなりました。これがきっかけで、幕府への不満が高まっていくことになります。

ルラスタコラム

条約では「神奈川」を開港することになっていましたが、幕府はわざとそこから少し離れた「横浜」に港を作りました。東海道という大きな道がある神奈川に外国人がたくさん来ると、武士とトラブルになるのを心配したからだと言われています。

テストでの問われ方・理解度チェック

【基礎】 日米修好通商条約において、日本にとって不平等だった点を2つ挙げなさい。
領事裁判権(治外法権)を認めたことと、関税自主権がなかったことです。
【応用】 1854年の日米和親条約と、1858年の日米修好通商条約の最も大きな目的の違いは何ですか。
日米和親条約は遭難船の救助や補給を目的とした「友好」の条約でしたが、日米修好通商条約は本格的な「貿易(通商)」の開始を目的としています。
【実践】 貿易開始後、日本から大量に輸出された品物と、それによって国内で起きた経済的な問題を説明しなさい。
主要な輸出商品であった生糸が大量に海外へ流れたことで、国内で品不足が発生し、物価が急騰して人々の生活を圧迫しました。

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