1603年に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に樹立した武家政権。織田信長・豊臣秀吉による統一事業を継承・発展させ、将軍を頂点に大名を統制する幕藩体制を確立した。1867年の大政奉還によって政権を朝廷に返上するまで、約260年間にわたり国内の平和と近世独自の社会・文化体制を維持した中央政府である。
解説
江戸幕府の統治基盤は、将軍と大名の主従関係を基礎とする「幕藩体制」にある。1600年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、1603年に開府。3代将軍家光の時代までに、老中・若年寄といった職制の整備や「武家諸法度」の制定、さらに大名に江戸と領地を往復させる「参勤交代」の義務化を完了させ、中央集権的な支配構造を盤石なものとした。大名の配置においても、江戸に近い要所に譜代、遠方に外様を置く戦略的な監視・防衛体制が敷かれた。
外交面では、キリスト教の拡大と大名の富強を抑制するため、次第に統制を強化した。1639年のポルトガル船来航禁止により、いわゆる「鎖国」体制が完成。以後、オランダ・中国とは長崎で、朝鮮とは対馬藩、琉球とは薩摩藩、アイヌとは松前藩を窓口とする「四つの口」を通じた限定的な交流を継続した。この体制は19世紀半ばのペリー来航による開国まで続き、元禄・化政文化といった日本独自の文化醸成を促した。幕末の政情不安を経て、15代将軍慶喜による大政奉還によってその歴史を閉じた。
コラム
将軍家の後継が途絶えた際に備え、家康の直系男子を初代とする尾張・紀伊・水戸の「御三家」が設置されていた。また、幕府の役職は譜代大名が就任する老中を最高位とし、その下に若年寄、大目付、町奉行などが置かれ、合議制に基づいた組織的な運営が行われていた点が特徴である。