1905年のポーツマス条約により、日本がロシアから譲り受けた長春以南の鉄道利権(旧東清鉄道の一部)およびその付帯権利を運営するために設立された半官半民の国策会社。中国東北部(満州)における日本の大陸進出の拠点として、経済・政治・軍事の各面で重要な役割を果たした。
解説
1906年に設立され、初代総裁には後藤新平が就任した。満鉄の事業は単なる鉄道経営にとどまらず、沿線の付属地における行政権の行使、撫順炭鉱などの採掘事業、都市建設、さらには病院や学校の運営にまで及ぶ多角的なものであった。また、高度なシンクタンクとして知られる「調査部」を設置し、中国やアジア諸国の政治・経済・文化に関する大規模な調査活動を行ったことも大きな特徴である。
歴史的背景として、明治末期の韓国併合や不平等条約の改正(陸奥宗光・小村寿太郎による領事裁判権撤廃と関税自主権回復)を経て、日本が帝国主義列強の一員として大陸へ進出する過程で中心的な存在となった。第一次世界大戦後の二十一か条の要求や、その後の満州事変、満州国の建国においても、関東軍と密接に連携しながら現地のインフラと経済を支える巨大組織として君臨した。1945年の第二次世界大戦終結とともに、その歴史に幕を閉じた。
コラム
満鉄の設立は、ポーツマス条約の内容(賠償金なしなど)に不満を持った国民による日比谷焼打事件などの混乱の中で進められた。当時、日本国内では対外強硬論が強まっており、満鉄はそうした国民感情や国家戦略を背景に、アジアにおける日本の権益を守る「生命線」の象徴として位置づけられていた。また、三・一独立運動や五・四運動といったアジア各地の民族自決運動が高まる中で、日本の支配体制を維持するための心臓部としての機能も担っていた。