- 大日本帝国憲法
- 1889年に発布された、天皇が主権を持ち国民に授ける形式をとった日本最初の近代憲法
解説
明治政府は、欧米諸国との不平等条約を改正し、近代国家としての体裁を整えるために憲法の制定を急ぎました。初代内閣総理大臣の伊藤博文はヨーロッパへ渡り、君主権の強いドイツ(プロイセン)の憲法理論を学び、帰国後に井上毅らとともに草案を作成しました。
1889年2月11日に発布されたこの憲法は、天皇が国民に与える「欽定憲法」であり、天皇は「神聖にして侵すべからず」とされ、国の統治権をすべて合わせ持つ(総覧する)絶対的な権限が与えられました。これには陸海軍の指揮権(統帥権)や、議会の協賛を経ずに発動できる大権が含まれていました。一方で、国民は「臣民」と位置づけられ、言論や信教の自由は認められたものの、それらはすべて「法律の範囲内」という条件付きのものでした。
コラム
憲法発布の翌1890年には、アジア初の近代議会である帝国議会が開設されました。しかし、最初の衆議院議員総選挙で選挙権が与えられたのは「直接国税15円以上を納める25歳以上の男子」のみで、全人口の約1.1%に過ぎませんでした。
また、軍の指揮権が内閣から独立しているという「統帥権の独立」の解釈は、後に軍部が政治を主導する要因になったとも指摘されています。同年には天皇への忠誠と愛国心を説く「教育勅語」も発布され、国民教育の柱となりました。これらの仕組みは、1947年に日本国憲法が施行されるまで続きました。