どのような宗教を信じてもよく、また、いかなる宗教も信じないという選択を含め、国からの干渉や強制、あるいは特定の宗教に対する特権の付与を否定する自由のことです。日本国憲法第20条により、個人の内面的な精神の自由を支える不可欠な権利として保障されています。
解説
信教の自由は、心の中で何を信じるかという「信仰の自由」にとどまらず、儀式や布教を行う「宗教的活動の自由」、同じ信仰を持つ人々で組織を作る「宗教的結社の自由」の3つの側面を持っています。かつての大日本帝国憲法下では、宗教の自由は「安寧秩序を妨げず、臣民の義務に背かざる限り」という条件付きの権利にすぎませんでした。しかし、戦前の国家神道が国民の思想を制限したことへの強い反省から、現在の憲法では、国が特定の宗教を援助したり、宗教的な教育を行ったりすることを禁じる「政教分離の原則」が徹底されています。
この権利は、日本国憲法第13条の「個人の尊重」を根底とする基本的人権の一つであり、自由権(精神の自由)に分類されます。社会全体の利益である「公共の福祉」による調整を受けることはありますが、個人の内面に関わる信仰そのものは、国家権力によって侵されてはならない絶対的な領域とされています。歴史的に見ても、江戸時代のキリスト教弾圧や鎖国体制、明治の解禁を経て、ようやく無条件の保障として確立された重みのある権利です。
コラム
日本国憲法第89条では、公金(税金)を宗教団体へ支出することを厳格に禁止しており、これが政教分離を支える具体的なルールとなっています。裁判所の判例では、国が行う行事が特定の宗教を助長するかどうかを判断するために「目的効果基準」という考え方が用いられます。例えば、地鎮祭(じちんさい)のような習俗的な行事が、特定の宗教を広める活動に当たるかどうかが大きな議論となりました。また、長崎の「潜伏キリシタン」に関連する遺産が世界文化遺産に登録されていますが、これは厳しい制限の中でも信仰を守り抜いた人々の歴史を物語る貴重な証拠となっています。