一般小学生
まとめ
小学生のみなさんへ
奈良時代の都、平城(へいじょう)京(きょう)のど真ん中を南北に走っていたとても大きなメインストリートが「朱雀(すざく)大路(おおじ)」です。道のはばは約70メートルもあり、今の大きな道路とくらべてもびっくりするほど広いものでした。この道は、北にある天皇(てんのう)の住まいである平城宮(へいじょうきゅう)から、南の端にある羅(ら)城(じょう)門(もん)までを一直線に結んでいました。
朱雀(すざく)大路(おおじ)を境目にして、都は東側の「左京(さきょう)」と西側の「右京(うきょう)」にきれいに分けられていました。全国から集められた税(ぜい)や特産品(とくさんひん)も、この大きな道を通って天皇(てんのう)のもとへと運ばれてきました。広い道は、日本の都の立派さを示す大切な場所でもあったのです。
ルラスタコラム
平城(へいじょう)京(きょう)の地図を見ると、右側が「左京(さきょう)」、左側が「右京(うきょう)」になっていて、ふだんの地図とは左右が逆になっています。これは、北にある宮殿(きゅうでん)から南を向いて座っている天皇(てんのう)から見て、左側か右側かで名前を決めたからだといわれています。
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