明治維新において中心的な役割を果たした薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩(薩長土肥)の出身者たちが、政府の要職を独占して国家運営を主導した政治体制のことです。
解説
明治政府は、江戸幕府を倒した勢力が中心となって組織されました。特に薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)の出身者が、内閣総理大臣をはじめとする政府や軍、官僚組織の重要なポストを長年にわたって占め続けたのが特徴です。これを「藩閥政治」と呼びます。
当時は西洋諸国に追いつくための急速な近代化(富国強兵・殖産興業)が必要だったため、特定のグループが強力に政治を進める「有司専制(ゆうしせんせい)」という形態がとられました。しかし、能力があっても出身藩が違うだけで排除される不公平さや、国民の意見が反映されない政治への不満が高まり、板垣退助らによる自由民権運動へと発展しました。この運動が、後の大日本帝国憲法の制定や国会の開設を促す大きな原動力となりました。
コラム
藩閥政治は1890年の帝国議会開設後もしばらく続きましたが、大正時代に入ると「憲政擁護(けんせいようご)運動」などの強い反発を受けるようになります。その後、国民の支持を得た政党が内閣を組織する「政党政治」への移行や、大正デモクラシーの流れの中で、藩閥による支配力は徐々に失われていきました。