- 江戸時代の五街道の一つである東海道において、小田原宿(神奈川県)から箱根関所を越え、三島宿(静岡県)に至る約8里(約32km)の区間の名称。
- 「箱根の山は天下の険」と謳われるほど、東海道の中で最も標高が高く、旅人にとって最大の難所として知られていた。
- 幕府によって石畳の整備が行われ、軍事・交通の要衝として箱根関所が設置されるなど、江戸防衛の重要な拠点でもあった。
解説
箱根八里は、小田原から箱根峠までの「上り四里」と、箱根峠から三島までの「下り四里」を合わせた区間を指します。この道は標高800メートルを超える険しい山道であり、当時の旅人にとっては東海道で一番の踏ん張りどころでした。
江戸幕府は、この重要な街道が雨などでぬかるんで通行不能になるのを防ぐため、大規模な石畳の舗装を行いました。現在も一部に残るこの石畳は、当時の土木技術の高さを示しています。また、山頂付近の芦ノ湖畔には「箱根関所」が置かれ、「入り鉄砲に出女」を厳しく監視することで、江戸の治安維持と幕府の権威を守る役割を果たしていました。
コラム
近代以降、箱根八里は文化的な題材としても親しまれてきました。特に作曲家・滝廉太郎が作曲した唱歌『箱根八里』は有名で、歌詞の中で「天下の険」という言葉が使われ、その険しさが強調されています。
また、現在の正月の風物詩である「東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」のコースも、この箱根八里の険しい地形を利用したものです。5区の「山登り」や6区の「山下り」は、かつての旅人が苦労して越えた歴史的な難所を舞台に繰り広げられています。