水戸藩は、徳川家康の十一男である徳川頼房を家祖とする親藩大名の一つであり、尾張・紀伊と並ぶ「徳川御三家」の一角を占める。現在の茨城県水戸市周辺を領地とし、江戸幕府の政治体制において将軍家の後継が不在となった際の供給源としての役割を担ったほか、第15代将軍・徳川慶喜を輩出したことでも知られる。
解説
江戸幕府の統治機構において、大名は将軍との血縁や忠誠心に基づいて親藩・譜代・外様の三層に区分された。その最高位に位置するのが御三家であり、水戸藩は石高こそ尾張・紀伊に劣るものの、徳川一門として格別の待遇を受けた。水戸藩の大きな特徴は、藩主が参勤交代を行わず常時江戸に居住して将軍を補佐する「定府(じょうふ)」という独自の制度を義務付けられていた点にある。
御三家は将軍家に世継ぎがいない場合に後継者を出す権利を有していたが、水戸藩は将軍家を支える守護的な立場としての性格が強かった。しかし、幕末の動乱期には一橋家を経て第15代将軍となった徳川慶喜を輩出し、幕府最後の舵取りを担うこととなった。このように、将軍家を血統と政治の両面から支えることが水戸藩の最大の役割であった。
コラム
水戸藩は第2代藩主・徳川光圀による歴史書『大日本史』の編纂を契機として、儒教と国学を融合させた「水戸学」の拠点となった。この学問は天皇を尊ぶ「尊王」の思想を強調しており、幕末には外国を退ける「攘夷」と結びついて尊王攘夷運動の理論的支柱となった。水戸藩の思想が明治維新への大きな原動力となった点は歴史的に極めて重要である。