江戸時代において、天皇の在所である京都や、経済・物流の拠点であった大坂(大阪)を中心とした近畿地方を指す呼称です。江戸に対して、都がある「上の方向」を指す敬称的な意味合いを含んでいます。
解説
「上方」は、江戸時代中期にかけて日本の経済と文化の先駆的な役割を担いました。特に5代将軍徳川綱吉の時代には、この地域を舞台に「元禄文化」が華やかに開花しました。大阪は全国の年貢米や特産物が集まる「蔵屋敷」が立ち並ぶ「天下の台所」として機能し、その経済力を背景に、伝統を重んじつつも革新的な町人主体の文化が発展したのです。
文芸面では、井原西鶴が当時の庶民の生活をリアルに描いた「浮世草子」を確立し、近松門左衛門は人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本で人気を博しました。また、松尾芭蕉によって俳諧が芸術へと昇華され、絵画では菱川師宣が木版画の手法を確立して浮世絵を庶民に広めました。これら上方発の文化は、後の江戸独自の文化(化政文化)にも多大な影響を与えています。
コラム
幕府の所在地である江戸と、天皇のいる京都(上方)、経済の大坂を合わせて「三都(さんと)」と呼びました。参勤交代による交通インフラの整備や、西廻り航路などの海運の発達が上方の繁栄を支えました。しかし18世紀後半以降、出版や興行の拠点が江戸へ移るにつれ、文化の中心地としての地位は徐々に江戸へとシフトしていきました。