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吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡

出典: Wikipedia
一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

吉野ヶ里遺跡は、佐賀県にある弥生やよい時代の大きな村のあとです。この遺跡いせきの一番の特徴は、村のまわりに深い「ほり」がほられていることです。これを環濠かんごう集落しゅうらくといいます。

弥生時代にお米作りが始まると、食べ物をたくわえることができるようになりました。すると、その食べ物や、お米作りに必要な土地や水をうばい合う「戦い」が起こるようになりました。吉野ヶ里遺跡にある深いほりや、高い「物見やぐら」は、敵から村を守るために作られたものなのです。

また、王様のような身分の高い人のためのお墓も見つかっており、この時代にはすでに人々の間に身分のちがいがあったこともわかっています。中国の古い本に出てくる「卑弥呼ひみこ」が治めていた「邪馬台国やまたいこく」ではないかとも言われている、とても大切な場所です。

ルラスタコラム

吉野ヶ里遺跡で見つかった「物見やぐら」は、敵が攻めてこないか見張るための建物です。弥生時代の人たちは、自分たちの村やお米を守るために、一生懸命工夫していたのですね。

テストでの問われ方・理解度チェック

【基礎】 吉野ヶ里遺跡は何県にある、どの時代の遺跡ですか?
佐賀県にある弥生時代の遺跡です。
【応用】 弥生時代に吉野ヶ里遺跡のような「環濠」が作られたのはなぜですか?
稲作の普及により食料の蓄えが可能になったことで、土地や水をめぐる集団間の争いが激化し、村を防御する必要が生じたためです。
【実践】 吉野ヶ里遺跡が『魏志倭人伝』の記述と関連付けられる理由は?
遺跡から見つかった物見やぐら(楼観)や城柵、大規模な祭殿などの構造が、中国の歴史書『魏志倭人伝』に記された邪馬台国の様子と酷似しているためです。

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