弓矢の先端部に取り付ける尖状の部品。日本列島においては、弥生時代に稲作が普及し社会構造が変化したことに伴い、従来の狩猟具から、集団間の対立や紛争に用いられる大型・重量化した対人用の武器へと変容を遂げた。
解説
弥生時代に大陸から本格的な稲作技術が伝来したことは、生活の安定をもたらすと同時に、社会に深刻な対立構造を生じさせた。稲作には肥沃な土地と農業用水が不可欠であり、これらを独占しようとする集団間の利害関係は、やがて武力衝突へと発展した。この過程で、縄文時代には主に小動物の狩猟に用いられていた小型・軽量の石鏃(せきぞく)は、対人殺傷能力を重視した大型で重い武器へと進化したのである。
稲作の開始によって余剰生産物の蓄積が可能になると、集団内に貧富の差が生まれ、土地や水を巡る争いが激化した。これに備えるため、集落は環濠(かんごう)によって防御を固め、組織的な戦闘を指揮する指導者が誕生した。こうした背景から、やじりの材質も石から青銅や鉄へと移り変わり、より貫通力が高く「返し」のある形状へと洗練されていった。この軍事化の進展は、複数の集落を統合する「王」の権威を確立させ、初期の「国」を形成する大きな要因となった。
コラム
佐賀県の吉野ヶ里遺跡に代表される防御的遺構や、戦いによる傷を負った人骨の存在は、やじりが単なる道具ではなく、政治的権力の誕生と紛争の日常化を象徴する重要な資料であることを示している。材質の変遷も重要であり、初期は石製の石鏃が中心であったが、金属器文化の流入に伴い、より貫通力の高い青銅製の銅鏃や鉄製の鉄鏃が普及し、組織的な戦闘に特化した形態へと洗練されていった。