稲作が広まる中で、収穫した食料(余剰生産物)の蓄えの多寡によって、人々の間に生じた経済的・社会的な格差のこと。食料の保存が可能になったことで「持つ者」と「持たざる者」が生まれ、平等の社会から階級社会へと移行する契機となった。
解説
弥生時代に水稲耕作が本格化すると、それまでの狩猟・採取生活とは異なり、収穫した米を長期保存することが可能になった。この蓄えられた食料(余剰生産物)の量の違いが、直接的な貧富の差を生み出した。また、稲作には大規模な灌漑設備や水路の管理、田植えといった共同作業が不可欠であり、これらを統率し指揮を執る強力な指導者が現れるようになった。
稲作に最適な土地や、必要不可欠な農業用水の確保を巡り、集落間での利害対立が激化した。これが武力による「戦い」へと発展し、他勢力の攻撃から身を守るために、吉野ヶ里遺跡に見られるような深い濠や木柵で囲まれた環濠集落が築かれた。こうした争いを勝ち抜き、周辺の集落を統合した有力な指導者は、やがて「王」としての地位を確立し、集落は「国」へと成長していった。
コラム
当時の社会変動は考古学的な発見からも裏付けられており、出土する矢尻は狩猟用の小型のものから、対人用の大型で強力な武器へと変化している。中国の史書『魏志倭人伝』に記された「倭国大乱」は、まさにこの貧富の差や土地の利権争いが極限に達したことで起きた、大規模な勢力争いであったと考えられている。