徳川綱吉は、江戸幕府の第5代将軍であり、儒学(朱子学)を重んじる「文治政治」への転換を完成させた人物です。生き物を慈しむ「生類憐みの令」を発令したことで知られるほか、その治世下では上方を中心に華やかな「元禄文化」が全盛期を迎えました。
解説
綱吉は第4代将軍・家綱の弟として就任し、それまでの武力による統治から、学問や礼節を重んじる政治への転換を強力に推し進めました。自らも湯島に聖堂(現在の湯島聖堂)を建立して論語の講義を行うなど、朱子学の普及に努めました。しかし、極端な動物愛護を強いた「生類憐みの令」は、蚊を殺すことさえ禁じられるなど庶民の生活を激しく圧迫し、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」と揶揄されることとなりました。
経済面では、度重なる災害や建築事業による財政難を解決するため、荻原重秀を起用して貨幣に含まれる金の割合を下げる「貨幣改鋳」を行いました。これにより一時的に幕府の収入は増えましたが、市場に質の悪い貨幣が流通したことで急激な物価高騰を招きました。一方で、平和な社会が続いたことで、井原西鶴の小説や松尾芭蕉の俳諧、近松門左衛門の人形浄瑠璃といった、町人を中心とする「元禄文化」が大きく発展しました。
コラム
綱吉の死後、その政治の行き詰まりを正すために起用されたのが新井白石です。白石は「正徳の治」と呼ばれる改革を行い、質の高い貨幣を再び発行して物価を安定させようとしたほか、金や銀の海外流出を防ぐために長崎貿易を制限しました。綱吉の時代の極端な政策は、後の幕政改革の起点ともなっています。