南北朝の争い

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

鎌倉(かまくら)幕府がたおれたあと、後醍醐(ごだいご)天皇が新しい政治を始めましたが、武士たちの不満がたまって失敗してしまいました。そのあと、足利尊氏(あしかがたかうじ)という武士が京都で新しい天皇を立て、後醍醐天皇は奈良県の吉野(よしの)という場所に逃げて、自分こそが本当の天皇だと言い張りました。こうして、京都の「北朝(ほくちょう)」と吉野の「南朝(なんちょう)」という2つのグループに分かれて、約60年も争いが続いたのです。最後は3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)が2つの朝廷(ちょうてい)を1つにまとめ、室町(むろまち)幕府の力を最も強くしました。

ルラスタコラム

この争いの間、日本中に2人の天皇がいたことになります。それぞれの天皇を応援する武士たちが日本中で戦ったため、この時期に守護(しゅご)という役職の力がとても強くなり、のちの戦国大名へとつながっていくきっかけになったんですよ。

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