604年(推古12年)に、推古天皇の摂政であった聖徳太子(厩戸王)によって制定された、官吏(役人)が遵守すべき政治的・道徳的な規範。日本最古の成文法とされ、天皇を中心とした中央集権体制の確立を目指し、有力豪族に対して官僚としての自覚と道徳を説いた精神的指針である。
解説
十七条の憲法は、飛鳥時代の政治改革の一環として、冠位十二階(603年)に続いて制定された。前年の冠位十二階が、家柄に縛られない人材登用という「制度の整備」であったのに対し、本憲法は役人としての「倫理観・心構え」を説く精神的な改革を意図していた。当時の社会は、蘇我氏をはじめとする有力豪族が勢力を争う不安定な状況にあり、第一条で「和を以て貴しとなし、忤(さから)ふことなきを宗(むね)とせよ」と説いたのは、こうした豪族たちの私闘を禁じ、天皇の下での協調による政治を促す狙いがあった。
内容面では、大陸から導入された儒教や仏教の教理が色濃く反映されている。第二条では「篤く三宝(仏・法・僧)を敬え」と仏教を国家運営の精神的支柱に据え、第三条では「詔(みことのり)には必ず承(う)けたまわれ」として天皇の絶対性を強調した。これらは、豪族たちが自立した権力を持つのではなく、天皇を頂点とした組織的な役人(官僚)へと転換することを求めたものである。また、当時の隋など大陸諸国に対し、日本が文字による法を持つ文明的な独立国家であることを示す外交的な側面も持っていた。
コラム
これらの改革は、有力豪族による門閥政治から天皇中心の中央集権体制(官僚制国家)への転換点となり、後の大化の改新から律令国家成立に至る国家体制構築の出発点となった。本憲法は、奈良時代に編纂された『日本書紀』に全文が引用される形で現代に伝わっている。当時の役人には「和」の精神だけでなく、訴訟を公平に行うことや、職務を怠らないことなど、実務的な倫理も強く求められていた。