- 大化の改新
- 645年の乙巳の変を契機に、中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我氏を打倒して開始した、天皇中心の中央集権国家を目指す政治改革
- 蘇我氏の権力独占を排除し、唐の律令制度を模範とした中央集権体制の構築を目指した
- 「公地公民」を原則とし、豪族による土地と人民の私有を禁じて国家管理とした
- 日本初の元号「大化」を制定し、独自の主権を持つ国家としての体裁を整えた
解説
改革は645年、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺した「乙巳の変」から始まりました。翌646年には「改新の詔」が発布され、それまで豪族が私有していた土地(田荘)や人民(部民)を国家のものとする「公地公民」が宣言されました。これにより、戸籍や計帳を作成して人民を把握し、租・庸・調といった統一的な税制を施行する基礎が築かれました。
この背景には、強大な帝国となった唐の出現という国際情勢の変化があります。日本は663年の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗し、国家存亡の危機に直面しました。この危機を乗り越えるため、天皇への権力集中と軍事・財政基盤の強化が急務となり、改革は壬申の乱を経て、天武・持統天皇による律令国家の完成へと繋がっていきます。
| 項目 |
改革前(豪族中心) |
改革後(天皇中心) |
| 土地の所有 |
豪族の私有地(田荘) |
国家の土地(公地) |
| 人民の支配 |
豪族の私有民(部民) |
国家の人民(公民) |
| 政治体制 |
有力豪族による合議・独占 |
天皇を中心とした中央集権 |
コラム
大化の改新によって導入された公地公民の制は、後に人口が増加し、開墾した土地の私有を認める「墾田永年私財法」が制定されるまで、日本の土地制度の根幹をなしました。また、この時期に整備された「国郡里制」などの地方行政組織は、現代の都道府県や市町村の仕組みの遠い先駆けとも言えるものです。改革の中心人物である中大兄皇子は後に天智天皇として即位し、中臣鎌足は藤原の姓を賜り、後の藤原氏繁栄の祖となりました。