まとめ
今(いま)から1600年(ねん)ほど前(まえ)、朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)の北(きた)の方(ほう)に「高句麗(こうくり)」というとても強(つよ)い国(くに)がありました。その国(くに)の王様(おうさま)である広開土王(こうかいどおう)(好太王(こうたいおう))が亡(な)くなったあと、その立派(りっぱ)な仕事(しごと)をのこすために立(た)てられたのが、この大(おお)きな石碑(せきひ)です。
この石碑(せきひ)には、当時(とうじ)の日本(にほん)(ヤマト政権(せいけん))が海(うみ)をわたって朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)へ行(い)き、高句麗(こうくり)の軍隊(ぐんたい)と激(はげ)しく戦(たたか)ったことが記録(きろく)されています。当時(とうじ)の日本(にほん)は、武器(ぶき)や道具(どうぐ)をつくるために必要(ひつよう)な「鉄(てつ)」や、進(すす)んだ技術(ぎじゅつ)を手(て)に入(い)れるため、朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)の国(くに)ぐにとの交流(こうりゅう)や争(あらそ)いをくり返(かえ)していました。
また、日本(にほん)の「倭(わ)の五王(ごおう)」とよばれる王様(おうさま)たちは、中国(ちゅうごく)の皇帝(こうてい)に使(つか)いを出(だ)して、自分(じぶん)たちの地位(ちい)を認(みと)めてもらおうとしました。福岡県(ふくおかけん)の「沖(おき)ノ島(しま)」という島(しま)では、海(うみ)をわたる航海(こうかい)の安全(あんぜん)をいのる特別(とくべつ)な儀式(ぎしき)も行(おこな)われていたことがわかっています。
この石碑(せきひ)は、なんと高(たか)さが約(やく)6.3メートルもあります!キリンの背(せ)よりも高(たか)い巨大(きょだい)な自然(しぜん)の石(いし)に、1500文字(もじ)以上(いじょう)もの漢字(かんじ)がぎっしりと彫(ほ)り込(こ)まれているんですよ。昔(むかし)の様子(ようす)を現代(げんだい)に伝(つた)える、世界(せかい)でも非常(ひじょう)に珍(めずら)しい宝物(たからもの)です。
記事の内容に誤りがありますか?
⚠️ 修正を提案する