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まとめ
日比谷とは、東京都千代田区の地名であり、近代史においては1905年(明治38年)に発生した「日比谷焼討事件」の舞台として知られます。日露戦争の講和条約であるポーツマス条約の内容に不満を抱いた民衆が、日比谷公園での国民大会を機に暴徒化した、大衆運動の先駆けとなる騒擾事件を象徴する用語です。
解説
日露戦争の終結に際し、日本はアメリカの仲介によってロシアとポーツマス条約を締結しました。この条約では、韓国に対する指導権、旅順・大連の租借権、南満州鉄道の一部利権、そして南樺太の領有を日本が獲得することが決定しました。
しかし、国民の期待はこれらを大きく上回るものでした。当時の日本は、国家予算の約6年分に相当する莫大な軍事費をこの戦争に投じており、国民は増税と犠牲に耐えながら「ロシアからの賠償金」を強く望んでいました。交渉の結果、賠償金が一切得られないことが判明すると、民衆の不満は爆発しました。全権大使の小村寿太郎が帰国するタイミングで日比谷公園に集まった群衆は、条約反対を叫び、警察署や官邸を襲撃する暴動へと発展したのです。
コラム
この事件は、それまでの藩閥政治に対して、民衆が「世論」という形で直接的に政治へ介入しようとした最初期の事例として極めて重要です。この騒動の影響で、当時の第一次桂太郎内閣は総辞職に追い込まれ、日本はこれ以降、大衆の動向が政治を左右する時代へと突入していきます。
事件当時、東京には戒厳令が敷かれ、力による鎮圧が行われました。日比谷公園は、日本初の近代的洋風公園として開園したばかりでしたが、図らずも政治的示威活動の中心的拠点としての役割を担うことになりました。
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