1993年(平成5年)に、1955年から38年間続いてきた自由民主党(自民党)の単独政権に代わり、日本新党の細川護煕を首班として発足した非自民・非共産を掲げる8政党・会派による連立政権のことです。これにより、いわゆる「55年体制」が崩壊し、戦後日本の政治史において大きな転換点となりました。
解説
細川連立内閣が成立した背景には、1980年代末から1990年代初頭にかけてのリクルート事件や佐川急便事件といった大規模な汚職事件があります。これらの不祥事により自民党への政治不信が急速に高まり、党内からも離党者が相次いで新党が結成されました。1993年の総選挙で自民党が過半数を割り込んだことを受け、日本新党、社会党、新生党、公明党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合の8勢力が結集して連立政権が誕生したのです。
この内閣の最大の功績は「政治改革」の推進です。金権政治の打破を目指し、衆議院の選挙制度を従来の中選挙区制から、現在の「小選挙区比例代表並立制」へと変更する政治改革関連法を成立させました。また、当時の世界情勢は冷戦終結直後の激動期にあり、1992年のPKO協力法に基づく自衛隊のカンボジア派遣や、1993年の欧州連合(EU)発足など、日本が国際社会の新たな枠組みに対応しようとしていた時期でもありました。
コラム
細川首相は就任後の記者会見で、第二次世界大戦を「侵略戦争であり、間違った戦争であった」と明確に表現しました。歴代の首相が慎重な表現を避けてきた中で、この踏み込んだ発言はアジア諸国を含む国際社会に大きな驚きと関心を持って受け止められました。短命に終わった内閣ではありましたが、現代日本の議会制民主主義における本格的な政権交代の先駆けとしての意義を今も保っています。