1467年の応仁の乱から、16世紀末の織田信長・豊臣秀吉による天下統一までの約100年間にわたり、日本各地の戦国大名が領地の拡大と覇権を巡り、軍事的な衝突を繰り返した時代を指す。室町幕府の権威が完全に失墜し、実力のある者が上位の者を打ち倒す「下剋上」が社会の普遍的な風潮となった激動の世紀である。
解説
戦国時代の幕開けとなった応仁の乱以降、守護大名の地位を奪って実権を握った戦国大名たちは、富国強兵を目指して独自の領国支配を展開した。その統治基盤となったのが「分国法」と呼ばれる独自の法律であり、今川氏の『今川仮名目録』や武田氏の『甲州法度之次第』に見られるように、他国との勝手な婚姻の禁止や家臣団の厳格な統制、情報流出の防止などが図られた。また、軍事拠点としての城郭を山城から平山城へと移行させ、その周辺に家臣や商工業者を集めた「城下町」を形成することで、経済の活性化と兵農分離を推し進めた。
この時代の戦術を根本から変えたのが、1543年の種子島への鉄砲伝来である。ポルトガル人からもたらされた火縄銃は、種子島領主が製法を学び、刀鍛冶に命じて複製に成功したことで国内に広まった。その後、堺(大阪府)や国友(滋賀県)といった都市で量産体制が構築され、それまでの個人の武勇に頼る戦いから、足軽集団による組織的な一斉射撃へと移行した。1575年の長篠の戦いにおける織田・徳川連合軍の勝利は、この集団戦術の有効性を証明し、同時に砲撃に耐えうる厚い石垣を持つ近世城郭への進化を促すこととなった。
コラム
同時期には、商業の発展に伴い堺や博多といった都市で有力商人による自治が行われ、幕府や大名の介入を受けない独立した経済圏が誕生した。また、1549年にフランシスコ・ザビエルによって伝えられたキリスト教は、南蛮貿易を通じた西洋文化の流入をもたらした。戦国大名の中には、キリシタン大名となって軍需品の確保や最新の科学技術の導入を図る者も現れ、信仰と実利の両面から日本の社会構造に多大な影響を及ぼした。