日明貿易は、1404年に室町幕府の第3代将軍・足利義満が明(当時の中国王朝)と国交を樹立して開始した正式な貿易です。明の皇帝に対して臣下の礼をとる「朝貢」という形式で行われ、倭寇(海賊)と公的な貿易船を厳格に区別するために「勘合」と呼ばれる合い札を用いたことから、勘合貿易とも呼ばれます。この貿易は幕府にとって莫大な利益をもたらす重要な財政基盤となり、義満による政治的安定(全盛期)を経済面から支える役割を果たしました。
解説
足利義満が日明貿易を成立させるためには、当時東アジアで活動していた海賊集団「倭寇」の鎮圧が明側からの絶対条件でした。そのため、貿易に際しては「本」や「日」という文字が記された「勘合」という証明書を使用し、これを持たない船を倭寇として排除する仕組みが取られました。義満は明から「日本国王」の称号を得ることで、対外的な権威を高めるとともに、貿易の独占権を握ることに成功しました。
日本からの主な輸出品には刀剣、硫黄、銅、扇などがあり、明からは銅銭(永楽通宝など)、生糸、絹織物、書画などが輸入されました。特に大量に輸入された銅銭は、当時の日本国内における貨幣経済の発展を強力に推し進め、社会構造の変化にも大きな影響を与えました。
しかし、第8代将軍・足利義政の時代に発生した応仁の乱(1467年開始)をきっかけに、幕府の権威は急速に失墜しました。幕府の支配力が山城国(現在の京都府)一国に限定されるまで衰退すると、貿易の主導権も有力守護大名である細川氏や大内氏へと移っていきました。最終的には大内氏が貿易を独占するようになりますが、16世紀半ばに大内氏が滅亡したことで日明貿易も終わりを迎えました。
コラム
日明貿易で使用された勘合には、日本側の「本字壱号」から始まる「本」の字と、明側の「日字壱号」から始まる「日」の字があり、それらを照合することで正当な貿易船であることを証明しました。また、この貿易は禅僧が外交文書の作成を担うなど、五山文化に代表される当時の文化交流を促進する側面も持っていました。