桃山文化

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)が活やくした時代に栄えた、とても明るくて豪華(ごうか)な文化のことを「桃山文化」といいます。戦国時代の終わりごろ、天下を統一しようとする強い力を持った大名や、商売で豊かになった大きな商人の勢いを表すように、きらびやかで力強いのが特ちょうです。

この時代のシンボルは、高い天守(てんしゅ)を持つ立派な「お城」です。お城の中には、金色の背景に力強い筆づかいで描かれた「屏風(びょうぶ)」や「障壁画(しょうへきが)」が飾られ、大名たちの権力(けんりょく)を示しました。一方で、堺(さかい)の商人だった千利休(せんのりきゅう)は、きらびやかな世界とは反対に、静かで落ち着いた心で楽しむ「茶の湯(わび茶)」を完成させました。

また、このころはポルトガルやスペインから「南蛮(なんばん)貿易」によって新しい文化が伝わりました。鉄砲(てっぽう)やキリスト教だけでなく、パンやカステラ、三味線(しゃみせん)のもとになった楽器なども日本にやってきました。京都では「阿国(おくに)歌舞伎」という新しい芸能も始まり、町の人々にも文化が広がっていった活気ある時代でした。

ルラスタコラム

「桃山文化」という名前ですが、当時はそう呼ばれていませんでした。江戸時代になってから、豊臣秀吉が建てた伏見城(ふしみじょう)の跡地にたくさんの「桃の木」が植えられたため、その場所が「桃山」と呼ばれるようになり、明治時代以降にこの時代の文化を「桃山文化」と呼ぶようになったんですよ。

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