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稲作

稲作

出典: Wikipedia
一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

今から約2500年以上前、アジアの大陸たいりくから日本に「お米を作る技術」が伝わりました。これを稲作いなさくといいます。それまでの日本人は、森で木の実を拾ったり、動物や魚を捕まえたりして暮らしていましたが、お米作りが始まったことで生活が大きく変わりました。

お米はたくさん作って貯めておくことができるため、食べ物に困ることが少なくなりました。しかし、お米をたくさん持っている人とそうでない人の間で「貧富ひんぷの差」が生まれ、さらに良い土地や水をめぐって村どうしの争いも起きるようになりました。自分たちの村を守るために、周りに深い堀を掘った環濠集落かんごうしゅうらくという村も作られました。

当時の人々は、石包丁いしぼうちょうという道具を使って稲の穂を摘み取り、収穫したお米はネズミや湿気を防ぐために高床倉庫たかゆかそうこに大切に保管していました。このお米作りが、今の日本の社会や文化の土台になったのです。

ルラスタコラム

弥生時代のお祭りに使われた「銅鐸(どうたく)」という青銅器には、当時の稲作の様子や、お米を食べるシカなどの動物が描かれていることがあります。昔の人にとって、お米がどれほど大切だったかがわかりますね。

テストでの問われ方・理解度チェック

【基礎】 弥生時代に、実った稲の穂を摘み取るために使われていた石製の道具を何というか。
石包丁(いしぼうちょう)
【応用】 稲作が普及したことで、なぜ集落の間で戦いが起こるようになったのか。その理由を「食料」と「土地・水」の2つの観点から説明せよ。
稲作によって食料の蓄え(余剰生産物)が可能になったことで貧富の差が生まれ、さらに稲作に適した土地や水を奪い合う必要が生じたため。
【実践】 弥生時代において、稲作の技術が伝わらなかった現在の都道府県名を2つ答えよ。
北海道と沖縄。これらの地域では、弥生時代になっても稲作は行われず、独自の文化(続縄文文化や貝塚文化)が続いた。

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