板垣退助

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

板垣退助いたがきたいすけは、高知県(土佐)出身の政治家です。明治時代の初め、今の国会にあたる「民撰議院みんせんぎいん(国民が選んだ議員による議会)」をつくるよう政府に求め、自由民権運動じゆうみんけんうんどうという活動を広めたリーダーとして知られています。

もともとは明治政府の重要なメンバーでしたが、朝鮮との関わり方をめぐる意見の対立(征韓論せいかんろん)に敗れ、役職を辞めて政府を離れました。その後、一部の有力な藩出身者だけで政治を行う「藩閥政治はんばつせいじ」を厳しく批判し、日本で最初の政党である「自由党じゆうとう」をつくりました。

1882年に岐阜県で演説中に襲われた際、「板垣死すとも自由は死せず」と言ったというお話はとても有名です。この言葉は、たとえ自分が倒れても自由を求める動きは止まらないという強い決意を表しており、日本の民主主義の基礎を築く大きな力となりました。

ルラスタコラム

板垣退助は、かつて日本のお札(100円札)に肖像画が使われていたことがあります。ひげを蓄えた威厳のある姿は、当時の人々に「自由の象徴」として親しまれていました。

記事の内容に誤りがありますか?

⚠️ 修正を提案する