白河天皇は、1086年に幼い堀河天皇へ譲位して上皇となり、天皇が退位後も実権を握り続ける「院政(いんせい)」を開始した第72代天皇です。長年にわたり政治の実権を握っていた藤原氏による摂関政治を抑え、天皇中心の専制的な統治体制を確立することを目指しました。
解説
白河天皇は藤原氏との血縁が比較的薄い状況で即位したため、自らの意思を直接政治に反映させやすい環境にありました。彼はわずか8歳の堀河天皇に位を譲ったあとも、上皇(院)として後見し、政治の決定権を持ち続けました。これが「院政」の始まりです。院政の開始により、藤原氏が摂政や関白として権力を独占していた摂関政治は事実上の終焉を迎えました。
白河天皇は自らの護衛や軍事力の基盤として「北面の武士」を新たに組織しました。これにより、それまで儀式を重んじていた朝廷に武力という実力行使の手段が加わり、武士が歴史の表舞台に登場するきっかけとなりました。彼の統治期間は、律令体制が大きく変容し、天皇(上皇)が検非違使などの既存の官職を超越した権力を行使する中世社会への大きな転換点となりました。
コラム
白河天皇は仏教を深く保護し、巨大な塔を持つ法勝寺を建立するなど厚い信仰を寄せましたが、一方で武装した僧侶(僧兵)の要求には頭を悩ませていました。彼は、鴨川の水、双六の賽、山法師(延暦寺の僧兵)の三つを、自分の思い通りにならない「天下三不如意」として挙げたエピソードで知られています。彼の死後、院政は鳥羽上皇、後白河上皇へと引き継がれ、武家政権である鎌倉幕府が誕生するまでの約100年間にわたり、上皇が政治の中枢を担い続けました。