摂関家とは、平安時代において摂政や関白の職を世襲し、国政の実権を掌握した藤原氏北家の家系を指します。天皇の外戚(母方の親族)となることで権力を維持する摂関政治の中心を担いました。
解説
平安時代中期、藤原氏は娘を天皇の后として入内させ、その間に生まれた皇子を次代の天皇に即位させることで、外祖父として政治的主導権を握りました。この体制を摂関政治と呼びます。天皇が幼少の期間は「摂政」、成人後は「関白」として全権を振るいました。
この権勢は藤原道長・頼通の親子において全盛期を迎えました。道長は四人の娘を中宮や后にし、三人の天皇の外祖父となることで、「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」という有名な和歌に象徴されるような、並ぶ者のない栄華を誇りました。この時代には、摂関家の圧倒的な権力に対抗しようとした菅原道真のような有能な官僚が左遷されるなど、貴族社会内部での権力争いも激化していました。
コラム
摂関家による統治は、平安末期になると変化を迎えます。天皇が譲位した後に上皇として政治を行う「院政」が始まると、その権力は相対的に低下していきました。さらに、平治の乱などの内乱を経て平清盛を中心とする武士勢力が台頭すると、政治の中心は次第に公家から武家へと移り変わります。
当時の文化面では、摂関家の財力を背景に国風文化が花開き、日宋貿易を通じて宋から輸入された陶磁器や銅銭が国内に流通するなど、経済・文化の両面で大きな影響を及ぼしました。後に摂関家は五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)に分かれ、形骸化しながらも近代まで存続することになります。