13世紀の元寇(蒙古襲来)において、元(モンゴル帝国)の軍勢が日本侵攻の際に使用した、陶器製の投擲用火薬兵器のこと。内部に火薬、硫黄、鉄片などを詰め、導火線に火をつけて投げ飛ばす構造を持ち、当時の日本には存在しなかった爆発的な破壊力と威嚇効果を備えていた。
解説
13世紀、チンギス=ハンが築いたモンゴル帝国は、その孫であるフビライ=ハンの代に国号を「元」と定め、東アジアからヨーロッパにおよぶ巨大帝国へと成長した。元は高麗を服属させた後、日本に対しても服属を求めたが、鎌倉幕府がこれを拒否したため、1274年の文永の役、1281年の弘安の役という二度にわたる軍事侵攻(元寇)が引き起こされた。
「てつはう」は、この元寇において元軍が導入した新兵器である。当時の日本の武士は「名乗り」を上げてから一対一で戦う「一騎打ち」の作戦を主としていたが、元軍は火薬を用いた集団戦法を展開した。てつはうが放つ凄まじい爆発音と閃光は、日本の武士だけでなくその軍馬をも著しく動揺させ、戦闘を混乱に陥れた。長崎県松浦市鷹島沖の海底遺跡からは、当時の実物が不発の状態で発見されており、科学的な調査によって内部の火薬成分や構造が詳細に解明されている。
コラム
当時の呼称は「蒙古襲来」であったが、江戸時代以降に「元寇」という名称が一般的となった。元軍の戦法は「蒙古襲来絵詞」などの絵画史料にも描かれており、文永の役の後に築かれた「石築地(防塁)」の有無などが、いつの時代の戦いを描いたものかを判断する重要な手がかりとなっている。また、元の支配下にあったマルコ=ポーロが日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパに紹介したことも、この時代の重要な国際交流の側面である。