徳川氏の系図

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

徳川(とくがわ)家康(いえやす)がひらいた江戸(えど)幕府(ばくふ)では、だれが次(つぎ)の将軍(しょうぐん)になるかをはっきりさせるために、親(おや)せきのつながりをあらわした「系図(けいず)」をとても大切(たいせつ)にしました。

将軍(しょうぐん)に子どもがいないときは、家康(いえやす)の息子(むすこ)たちがはじめた「御三家(ごさんけ)」という特別(とくべつ)な3つの家(いえ)から、次(つぎ)の将軍(しょうぐん)をえらぶ決(き)まりになっていました。この仕組み(しくみ)があったおかげで、徳川(とくがわ)家の政治(せいじ)は260年(ねん)もの長い(ながい)間(あいだ)つづくことになったのです。

ルラスタコラム

「御三家(ごさんけ)」は尾張(おわり)(愛知県(あいちけん))、紀伊(きい)(和歌山県(わかやまけん))、水戸(みと)(茨城県(いばらきけん))の3つを指し(さし)ます。水戸(みと)家(け)だけは将軍(しょうぐん)を出す(だす)のではなく、将軍(しょうぐん)を助ける(たすける)特別な(とくべつな)役割(やくわり)を持って(もって)いました。

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