- 摂関政治
- 平安時代中期に藤原氏が天皇の摂政・関白を独占し、外戚関係を背景に国政の実権を握った政治体制
- 天皇が幼少のときは摂政、成人後は関白として、藤原氏が常に政治の最高責任者を務めた
- 自分の娘を天皇の后とし、その子を次の天皇に立てる「外戚政策」によって権力を維持した
- 藤原道長・頼通の時代に全盛を極め、経済的には荘園の拡大がその権勢を支えた
解説
摂関政治は、藤原北家が他氏を排斥し、天皇との血縁関係(外戚関係)を利用して権力を独占した仕組みです。藤原氏は、娘を天皇の后(中宮・女御)として送り込み、生まれた皇子を幼くして即位させることで、自らが外祖父として「摂政」に就任しました。天皇が成人した後も「関白」として実権を握り続け、重要な官職を藤原一族で独占しました。
この政治体制を支えた経済的基盤が「荘園」です。地方の有力者が国司の徴税を逃れるために、権力者である藤原氏に土地を寄進しました。これにより、藤原氏は「不輸(税を納めない)」「不入(役人の立ち入りを拒む)」の権を持つ広大な私有地を支配し、莫大な富を蓄えました。
| 役職名 |
対象となる天皇の状態 |
主な役割 |
| 摂政 |
幼少または女性 |
天皇に代わって政務を執り行う |
| 関白 |
成人(男性) |
天皇を補佐し、国政の最終決定に関与する |
コラム
摂関政治の全盛期を築いた藤原道長は、「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」という和歌を詠み、その権勢を誇示しました。この時代には、遣唐使の廃止によって日本独自の「国風文化」が発展し、『源氏物語』や『枕草子』といった女流文学、寝殿造の建築様式などが生まれました。
しかし、藤原氏が中央で権力を独占し、地方統治を国司に任せきりにした結果、地方の治安が悪化しました。これが、自衛のために武装した「武士」が誕生する大きな要因となりました。その後、藤原氏と血縁のない後三条天皇の即位や、白河上皇による院政の開始によって、摂関政治は衰退へと向かいました。