江戸幕府が禁教令(キリスト教禁止政策)の一環として、住民がキリスト教徒(キリシタン)であるか否かを確認するために、イエス・キリストや聖母マリアの像を踏ませた道具のこと。
解説
江戸幕府は1612年の禁教令以降、キリスト教の弾圧を強化した。特に1637年に発生した島原・天草一揆を経て、幕府はキリシタンの摘発と民衆の思想統制を目的とした「宗門改(しゅうもんあらため)」を制度化した。この際、キリシタンを見つけ出すための具体的な手段として全国で実施されたのが「絵踏(えふみ)」であり、そこで使用されたプレートが踏絵である。
初期は紙に描かれた「紙踏絵」や木製のものが主流であったが、摩滅を防ぐために1660年代からは長崎の鋳物師によって作られた真鍮(しんちゅう)製の「真鍮踏絵」が普及した。住民は年に一度、宗門改帳の更新に合わせて踏絵を強制され、拒む者は信者とみなされて処罰の対象となった。この制度は単なる識別手段にとどまらず、聖像を汚させるという屈辱を与えることで、信仰を捨てさせる心理的な強制力を持っていた。1854年の開国後に事実上廃止されるまで、日本の鎖国体制を象徴する宗教政策として継続された。
コラム
道具の名前が「踏絵」であり、それを行う行為の名称が「絵踏」である。この厳しい弾圧の中でも、表面的には仏教徒として振る舞いながら密かに信仰を守り続けた人々は「潜伏キリシタン」と呼ばれた。長崎や天草地方に残る彼らの関連遺産は、現在ユネスコの世界文化遺産に登録されており、踏絵はその苦難の歴史を語る上で欠かせない資料となっている。