まとめ
1722年(享保7年)に江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗が享保の改革の一環として実施した、臨時の財政再建策。大名に対して石高1万石につき100石の米を幕府に納めさせる(上米)代わりに、軍役としての参勤交代の江戸在府期間を1年から半年に短縮した制度である。
解説
享保の改革が始まった当初、幕府の財政は破綻寸前の赤字状態にあり、特に幕府直轄領からの年貢収入だけでは運営が困難な状況にありました。そこで吉宗は、本来は軍役を果たす義務がある大名に対し、特例として米の献上を求めました。
大名にとっては米の供出という経済的負担が生じるものの、参勤交代の江戸滞在期間が半分になることで、江戸での生活費や大名行列にかかる莫大な経費を大幅に削減できるという実利がありました。この制度により、幕府は年間約18万石もの米を確保することに成功し、危機的だった財政を一時的に安定へと導きました。
上米の制は財政を立て直す大きな成果を上げましたが、幕府と大名の主従関係の根幹である「参勤交代」の義務を緩和し、大名の経済力に依存する形となるため、幕府の絶対的な権威を損なうリスクを孕んでいました。
そのため、年貢増徴策(定免法など)が軌道に乗り、財政の目途がついた1730年にはこの制度は廃止され、参勤交代の期間も旧来の1年に戻されました。この吉宗による「米」中心の財政再建の試行錯誤が、後の老中・田沼意次による商業重視の政策への転換点へと繋がっていきます。
江戸時代(えどじだい)の八代将軍(はちだいしょうぐん)、徳川吉宗(とくがわよしむね)が行った「享保(きょうほう)の改革(かいかく)」の中で始まった制度です。当時の幕府(ばくふ)は、お金や米が足りずにとても困(こま)っていました。そこで吉宗は、全国の大名(だいみょう)に「1万石(まんごく)につき100石の米を幕府に差し出しなさい」と命じました。その代わり、大名にとって大きな負担(ふたん)だった参勤交代(さんきんこうたい)で江戸に滞在(たいざい)する期間(きかん)を、1年から半分(はんぶん)の半年に短(みじか)くしてあげたのです。これを「上米(あげまい)の制(せい)」と呼びます。この制度によって幕府の米の蓄(たくわ)えは急激(きゅうげき)に増えましたが、幕府が大名に頼(たよ)る形になったため、財政(ざいせい)が少し安定すると、わずか8年ほどで元の仕組みに戻(もど)されました。
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