1825年(文政8年)に江戸幕府が発令した、日本沿岸に接近する外国船を、その事情や理由を問わず砲撃して追い払うよう命じた法令です。別名を「無二念(むにねん)打払令」とも呼び、鎖国体制を維持し、対外的な圧力を力で抑え込む姿勢を明確にしたものでした。
解説
江戸時代後期、ロシアやイギリス、アメリカなどの外国船が通商や薪水の補給を求めて日本近海に頻繁に現れるようになりました。特に1824年にはイギリスの捕鯨船員が常陸国に上陸する「大津浜事件」が発生するなど、対外的な危機感が高まっていました。これを受けて幕府は、沿岸の諸大名に対し、外国船を見つけ次第、問答無用で撃退するよう厳命しました。
しかし、この排他的な政策は大きな問題を引き起こします。1837年、漂流民の送還と通商交渉を目的とした非武装のアメリカ商船を攻撃した「モリソン号事件」が発生しました。この対応を渡辺崋山や高野長英らが著書で批判しましたが、幕府は彼らを厳しく弾圧する「蛮社の獄」を断行しました。このように、当初は強硬な姿勢で鎖国を守ろうとしました。
コラム
その後、隣国の清がアヘン戦争でイギリスに大敗したという衝撃的なニュースが日本に伝わりました。西洋諸国の圧倒的な軍事力を認識した幕府は、対立を避けるために政策を転換します。1842年に異国船打払令を撤回し、漂流船には燃料や食料を与えて穏やかに帰航を促す「天保の薪水給与令」を発令し、対外政策を軟化させました。