- 日英同盟
- 1902年に日本とイギリスの間で、ロシアの南下政策に対抗するために締結された軍事同盟
- ロシアの東アジア進出を阻止するため、日本とイギリスの利害が一致して締結された
- 日露戦争において、イギリスが資金援助や情報提供を行うなど日本の強力な後ろ盾となった
- 第一次世界大戦では、日本がこの同盟を理由に連合国側として参戦する根拠となった
解説
19世紀末、ロシアは満州や朝鮮半島への進出(南下政策)を強めていました。これに対し、中国での利権を守りたいイギリスと、ロシアの脅威を直接受けていた日本の利害が一致しました。イギリスにとっては、長年維持してきた「光栄ある孤立」という外交方針を捨ててまで結んだ画期的な同盟でした。
この同盟は、その後の日露戦争において日本に多大な利益をもたらしました。イギリスは日本に対して戦費の調達や情報提供を行い、ロシアのバルチック艦隊に対しては自国の中継港を使わせないなどの妨害工作で日本を支援しました。また、1914年に始まった第一次世界大戦において、日本はこの同盟を理由として連合国側で参戦し、ドイツの拠点であった中国の青島や南洋諸島を占領しました。これは後に「二十一か条の要求」へとつながる日本の大陸進出の足がかりとなりました。
| 項目 |
日本の目的 |
イギリスの目的 |
| 警戒した国 |
ロシア |
ロシア(およびドイツ) |
| 守りたい地域 |
朝鮮半島・満州 |
中国(清)での利権 |
| 得られたメリット |
大国の支援でロシアと戦える |
東アジアの警備を日本に分担させる |
コラム
日英同盟はその後2回の改定を経て継続されましたが、1921年のワシントン会議で成立した四カ国条約により、1923年に廃止されました。また、外務大臣の小村寿太郎が関税自主権の完全回復を成し遂げた際にも、この強力な同盟関係が日本の外交交渉を有利に進める背景となりました。不平等条約の改正という明治以来の悲願達成は、この同盟による国際的地位の向上と密接に関係しています。