国民の支持を得て議会で多数を占めた政党が、内閣を組織して実際の政治運営を行う仕組みを指す。日本では大正末期から1932年までの約8年間、衆議院の第一党が政権を担う「憲政の常道」が慣例化したが、五・一五事件を契機に終焉を迎え、軍部が主導権を握る軍国主義へと変質していった。
解説
日本の政党政治は、大正デモクラシーの流れの中で大きな進展を見せた。1924年の加藤高明内閣から始まり、選挙の結果に基づいた政権交代が繰り返される体制が定着した。しかし、1930年代に入ると世界恐慌による不況や満州事変の勃発により、軍部が政府の統制を離れて独断で行動を開始。これに対する国際的な非難が強まり、日本の国際的孤立を深めることとなった。
1932年、海軍将校らによって犬養毅首相が暗殺される五・一五事件が発生すると、それまで続いていた政党内閣の慣例が途絶えた。その後、二・二六事件を経て軍部の政治的発言力は決定的なものとなり、1937年の盧溝橋事件をきっかけとした日中戦争の拡大とともに、国家の全勢力を戦争に注ぎ込む軍国主義の体制が強化されていった。
コラム
「軍国主義」とは、軍事力の強化を国家の最優先事項とし、政治や社会、経済のすべてを軍事的な論理で運営しようとする思想や体制である。当時の日本では、軍部大臣現役武官制などの制度が、軍部による内閣の倒閣や政治介入の手段として利用され、政党による民主的な統治を困難にさせた歴史的背景がある。