狩野永徳

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

狩野永徳(かのうえいとく)は、今から約400年以上前の安土桃山時代(あづちももやまじだい)に活躍(かつやく)した、日本を代表する有名な絵師(えし)です。織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)といった天下人(てんかびと)に仕(つか)え、彼らが住む立派(りっぱ)なお城(しろ)の壁(かべ)や、部屋(へや)を仕切(しき)る襖(ふすま)に壮大(そうだい)な絵を描きました。

永徳(えいとく)の絵のすごさは、金箔(きんぱく)をぜいたくに使ったキラキラと輝(かがや)く背景(はいけい)と、今にも動き出しそうな力強い筆の使いかたです。これは障壁画(しょうへきが)と呼(よ)ばれ、広々としたお城の中でも負けないくらいの迫力(はくりょく)があります。代表作(だいひょうさく)の「唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)」には、力強く歩く想像(そうぞう)上のライオンが描かれており、当時の武士(ぶし)たちの勢(いきお)いを感じさせます。

彼が完成(かんせい)させた豪華(ごうか)で堂々(どうどう)としたスタイルは、当時の華(はな)やかな「桃山文化(ももやまぶんか)」のシンボルとなりました。彼の技術(ぎじゅつ)は「狩野派(かのうは)」というグループに受け継(つ)がれ、その後も長く日本の絵の世界(せかい)に影響(えいきょう)を与えました。

ルラスタコラム

「桃山文化」という名前の秘密(ひみつ)を知っていますか?実は、豊臣秀吉が建てた伏見城(ふしみじょう)というお城が壊(こわ)されたあと、その場所にたくさんの「桃の木」が植えられたことから、江戸(えど)時代にその土地が「桃山」と呼(よ)ばれるようになりました。そこから、この時代の文化を桃山文化と呼ぶようになったといわれています。

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