国際連盟脱退

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

1933年、日本は世界中の国が集まって話し合う「国際連盟こくさいれんめい」というグループを抜けることにしました。理由は、日本が中国の東北地方(満州まんしゅう)を自分たちのものにしようとしたことについて、ほかの国々から「それはおかしい」と反対されたからです。

日本の代表だった松岡まつおか洋右ようすけは、会議の途中で部屋を出ていきました。このあと、日本は世界の中で孤立こりつしてしまい、どんどん戦争への道を進んでいくことになります。

1945年には、東京への空襲や沖縄での戦い、そして広島や長崎への原子爆弾の投下という、とても苦しい経験をしました。最後にはポツダム宣言という約束を受け入れて、戦争は終わりましたが、日本の領土や軍隊のあり方は大きく変わることになりました。

ルラスタコラム

当時の日本の新聞などは、世界に立ち向かう日本の姿を「堂々たる退場」と大きく報じてたたえることもありました。しかし、実際にはその後の苦しい戦争につながる悲しい分かれ道だったのです。

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