1885年(明治18年)に創設された内閣制度において、日本で最初にその職に就いた最高責任者のことです。長州藩(現在の山口県)出身の伊藤博文がその大任を務めました。
解説
明治政府はそれまでの太政官制を廃止し、近代的な国家運営を目指して内閣制度を導入しました。初代の総理大臣に選ばれた伊藤博文は、薩摩藩や長州藩といった特定の地域出身者が政治の実権を握る「藩閥政治(はんばつせいじ)」の中心人物の一人でもありました。
伊藤はドイツ(プロイセン)の憲法を参考にしながら、日本の近代化の基盤となる大日本帝国憲法の起草にも深く関わりました。この憲法では主権が天皇にあることが定められ、国民の権利は法律の範囲内という制限付きの「臣民の権利」として認められました。これにより、日本は東アジアで初めての近代的な立憲国家としての歩みを始めました。
コラム
伊藤博文は生涯で計4回も内閣総理大臣を務めており、日本の初期の政治基盤を固める上で欠かせない存在でした。また、彼は政治家としてだけでなく、初代の韓国統監に就任するなど、当時の日本の外交政策においても重要な役割を果たしましたが、1909年に安重根によって暗殺されるという悲劇的な最期を遂げています。