足尾鉱毒事件

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

明治時代、栃木県にある足尾銅山どうざんという場所から、体に毒となるものが川に流されました。その毒のせいで、まわりの田んぼでお米がとれなくなったり、魚が死んだり、人々が病気になったりしました。これが、日本で最初の大きな公害こうがいといわれる「足尾鉱毒事件」です。

この問題を解決しようと、一番がんばったのが田中正造(たなかしょうぞう)という人です。田中正造は、困っている人々を助けるために、国会で何度も話し合ったり、明治天皇に直接お願いをする「直訴じきそ」という命がけの行動をとったりしました。

当時の政府は、日本を強くするために工場や鉱山こうざんを動かすことを優先していましたが、この事件をきっかけに、自然や人々の暮らしを守ることの大切さが考えられるようになりました。

ルラスタコラム

田中正造は、亡くなったときに持っていたものは、日記や聖書、川の石ころなどのわずかな持ち物だけだったといわれています。自分のことよりも、苦しむ人々のために一生をささげた人だったのですね。

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