文禄の役

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

日本を一つにまとめた豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、次に当時の中国(ちゅうごく)である「明(みん)」を支配(しはい)しようと考えました。その通り道(みち)として、1592年に朝鮮(ちょうせん)半島(はんとう)へ大軍(たいぐん)を送りこみました。これが「文禄(ぶんろく)の役(えき)」です。

日本軍(にほんぐん)は最初はどんどん進んでいきましたが、海の上では李舜臣(りしゅんしん)という朝鮮(ちょうせん)のリーダーが率(ひき)いる軍(ぐん)にはばまれ、戦(たたか)いはとても苦(くる)しいものになりました。結局(けっきょく)、この戦(たたか)いは秀吉(ひでよし)が亡(な)くなるまで続(つづ)き、最後(さいご)は日本に帰(かえ)ることになりました。

このとき、日本へ連(つ)れてこられた朝鮮(ちょうせん)の職人(しょくにん)たちが、日本に新(あたら)しい焼(や)き物(もの)の技術(ぎじゅつ)を伝えました。これが、今でも有名な有田焼(ありたやき)などの始(はじ)まりになったといわれています。

ルラスタコラム

朝鮮(ちょうせん)の海軍(かいぐん)が使った船は「亀甲船(きっこうせん)」とよばれ、屋根(やね)の部分(ぶぶん)が鉄(てつ)の板(いた)やトゲで守(まも)られている不思議(ふしぎ)な形をしていました。この船の活躍(かつやく)によって、日本軍(にほんぐん)は荷物(にもつ)を運(はこ)ぶのを邪魔(じゃま)されて困(こま)ったそうです。

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