学習目安 | 小: S | 中: S | 高: S

元寇

元寇

出典: Wikipedia
一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

13世紀の後半、今のモンゴルや中国を支配していた大きな国「元(げん)」が、2回にわたって日本をせめてきました。これを「元寇げんこう」といいます。当時の鎌倉幕府かまくらばくふのリーダーだった北条時宗ほうじょうときむねは、元の要求をはねのけて戦うことを決めました。

1回目の戦い(文永ぶんえいの役えき)では、元軍が使う「てつはう」という火薬兵器や、集団で戦うやり方に武士たちはとても苦労しました。そこで幕府は、2回目の戦いにそなえて、博多の海岸に「防塁ぼうるい」という長い石の壁を作りました。この壁のおかげで、2回目の戦い(弘安こうあんの役えき)では元軍を上陸させず、さらに嵐がふいたこともあって、元軍を追い返すことができました。

しかし、この戦いのあと、幕府は困ったことになりました。外国との戦いだったので、新しく手に入れた土地がなく、がんばって戦った武士たちに「ほうび(恩賞おん賞)」をあげることができなかったのです。これが原因で武士たちの不満が高まり、鎌倉幕府かまくらばくふがたおれるきっかけになりました。

ルラスタコラム

元軍が使った「てつはう」は、今の長崎県の海の底から見つかっています。中にはたくさんの鉄のつぶや陶器の破片が入っていて、爆発したときにまわりに飛び散る仕組みになっていたことがわかっています。

テストでの問われ方・理解度チェック

【基礎】 元寇における2つの戦いの名称と、当時の鎌倉幕府の執権は誰ですか。
戦いの名称は「文永の役」と「弘安の役」で、当時の幕府のリーダーは8代執権の北条時宗です。
【応用】 2回目の襲来(弘安の役)において、日本側が元軍の上陸を阻止するために博多湾沿岸に築いたものは何ですか。
石築地(防塁)です。文永の役で元軍の集団戦法や火薬兵器に苦戦した経験から、博多湾沿岸に約20kmにわたる石垣を築いて上陸を阻止しました。
【実践】 元寇に勝利したにもかかわらず、なぜ鎌倉幕府は衰退することになったのですか。
外国との防衛戦であったため、勝利しても新しく獲得した土地がなく、軍役を負担した御家人に十分な恩賞(土地)を与えることができず、幕府への不満が高まったためです。

記事の内容に誤りがありますか?

⚠️ 修正を提案する
ルラスタマップ (3層表示) フルサイズで表示 (5層) ↗
マップを生成中…

元寇 周辺の地図 Google Mapで開く ↗

まだ閲覧履歴がありません