環濠集落

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

弥生(やよい)時代(じだい)になると、日本(にほん)ではお米(こめ)づくり(稲作(いなさく))が本格(ほんかく)的(てき)に始まりました。お米(こめ)をたくさん蓄(たくわ)えられるようになったことで、豊(ゆた)かな土地(とち)や水(みず)をうばい合(あ)う激(はげ)しい争(あらそ)いが起(お)こるようになりました。

こうした敵(てき)の侵入(しんにゅう)から村(むら)を守(まも)るために、村(むら)のまわりに深(ふか)い「濠(ほり)」という溝(みぞ)をほったり、土(つち)をもり上(あ)げた「土塁(どるい)」や柵(さく)を作(つく)ったりした集落(しゅうらく)のことを「環濠(かんごう)集落(しゅうらく)」と呼(よ)びます。

佐賀(さが)県(けん)にある吉野ヶ里(よしのがり)遺跡(いせき)は、この環濠(かんごう)集落(しゅうらく)の代表(だいひょう)的(てき)なものです。大きな見張(みは)り台(だい)などもあり、村(むら)をまとめる強力(きょうりょく)なリーダーがいたことがわかっています。

ルラスタコラム

吉野ヶ里遺跡の濠の底からは、敵の侵入をふせぐためにトゲのある木の枝をならべた「逆茂木(さかもぎ)」が見つかることもあります。当時の人々がいかに真剣に村を守ろうとしていたかがわかりますね。

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