1931年(昭和6年)9月18日に、中国の奉天(現在の瀋陽)郊外にある柳条湖で、日本の関東軍が南満州鉄道の線路を自ら爆破した事件である。この事件を中国軍による破壊工作であると偽ることで、日本軍が軍事行動を開始する正当な口実とし、満州全土を占領する「満州事変」の直接の引き金となった。
解説
1929年に発生した世界恐慌の影響により、当時の日本経済は深刻なデフレと不況に陥っていた。特に農村部では欠食児童や身売りが社会問題化し、既存の政党政治や財閥に対する国民の不満が爆発寸前まで高まっていた。こうした閉塞感を打破するため、陸軍の関東軍は、資源が豊富で権益が集中する満州(中国東北部)を、日本の生存を支える「生命線」と位置づけ、武力による領土化を画策するようになった。
事件当日、関東軍の高級参謀である板垣征四郎や石原莞爾らによって計画された爆破が実行された。線路の被害自体はごく軽微で、直後に列車が通過できる程度であったが、関東軍はこれを中国軍の仕業として即座に総攻撃を開始。政府の不拡大方針を無視して戦線を拡大し、1932年には清朝最後の皇帝・溥儀を担ぎ出して傀儡国家である「満州国」を建国するに至った。この一連の強引な軍事行動は国際社会からの激しい非難を浴び、後の国際連盟脱退と太平洋戦争への道筋を作る歴史的転換点となった。
コラム
かつては地名を誤認して「柳条溝(りゅうじょうこう)事件」と表記されていたが、その後の調査で実際の爆破地点が柳条湖であることが確認され、現在の歴史教科書では「柳条湖事件」という表記が定着している。また、戦後の極東国際軍事裁判において、この事件が関東軍による自作自演の謀略であったことが正式に認定された。