征韓論

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

明治時代のはじめごろ、日本はとなりの国の朝鮮ちょうせん(今の韓国や北朝鮮がある場所)と仲良くするために、門を開いてほしいとお願いしました。しかし、朝鮮ちょうせんはそれまで通り、国を閉ざす「鎖国さいこく」を続けていたため、日本の申し出をことわりました。

このとき、日本政府の中で「武力を使ってでも朝鮮ちょうせんに門を開かせるべきだ!」という意見が出されました。これを征韓論せいかんろんといいます。西郷隆盛さいごうたかもり板垣退助いたがきたいすけといった有名な人たちがこの考えを持っていました。

しかし、大久保利通おおくぼとしみちたちは「今は外国と戦うよりも、まず日本国内を立派な国にすることが先だ」とはん対しました。はげしい話し合いの結果、征韓論せいかんろんはみとめられず、西郷隆盛さいごうたかもりたちは政府をやめることになりました。これがきっかけで、のちに大きな戦争や、国民が政治に参加することを求める運動につながっていきました。

ルラスタコラム

西郷隆盛は、いきなり戦おうとしたわけではありません。自分ひとりで朝鮮へ行き、話し合いで解決しようと考えました。しかし、もし西郷さんが殺されるようなことがあれば、それをきっかけに戦争ができるとも考えていたといわれています。当時の日本のリーダーたちは、国をどう守るかで必死だったのですね。

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