- 1965年に新潟県の阿賀野川流域で発生が確認された、メチル水銀による中毒性の公害病です。
- 熊本県の水俣病に次いで発生したことから「第二水俣病」と呼ばれ、四大公害病の一つに数えられます。
- 原因企業である昭和電工の工場排水に含まれていた有害物質が、食物連鎖を通じて人体に蓄積され、深刻な神経障害を引き起こしました。
解説
第二水俣病は、新潟県を流れる阿賀野川の流域で発生しました。原因は、上流に位置する昭和電工鹿瀬工場の排水に含まれていたメチル水銀です。この物質が川の魚介類の体内に取り込まれて濃縮され、その魚を日常的に摂取した流域住民に、手足のしびれ、目で見える範囲が狭くなる症状(視野狭窄)、耳が聞こえにくくなる、言葉がうまく話せなくなるといった中枢神経系の疾患が現れました。
この公害の歴史的意義は、熊本での水俣病発生から約10年が経過し、その恐ろしさが社会的に知られていたにもかかわらず、同様の被害が繰り返された点にあります。企業の排水管理の甘さと、政府の対応の遅れが厳しく批判されました。1967年には被害者たちが昭和電工を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こし、1971年に被害者側の勝訴が確定しました。これは四大公害訴訟の中で最初の勝訴判決となり、その後の公害裁判に大きな影響を与えました。
コラム
第二水俣病の発生は、日本の環境行政を大きく動かす原動力となりました。1967年には「公害対策基本法」が制定され、1971年には環境庁(現在の環境省)が発足するなど、公害を未然に防ぐための法整備が進められました。
また、熊本の水俣病が「海(水俣湾)」の魚介類を介したのに対し、新潟は「川(阿賀野川)」の魚介類を介したという環境的な違いがあります。現在では、被害者の救済だけでなく、阿賀野川の豊かな自然環境を再生し、公害の教訓を次世代に伝えるための活動が続けられています。