民選議院設立建白書

一般小学生

まとめ

小学生のみなさんへ

明治時代が始まったころの日本は、薩摩さつま(今の鹿児島県)や長州ちょうしゅう(今の山口県)など、一部の地域出身の人たちだけで政府せいふの仕事を決めていました。これを「藩閥政治はんばつせいじ」と呼びます。

これに対し「一部の人たちだけで決めるのはおかしい!国民が選んだ代表が集まって話し合う『国会』を作るべきだ」という意見をまとめて、政府に提出されたお手紙が「民選議院設立建白書みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ」です。1874年に、板垣退助いたがきたいすけたちが中心となって出しました。

このお手紙は新聞にのり、日本中で大きな話題になりました。それまで武士たちは不満があると武器を持って戦っていましたが、この出来事をきっかけに、話し合いや文章の力で政治せいじを変えようとする「自由民権運動じゆうみんけんうんどう」が広まっていくことになったのです。

ルラスタコラム

板垣退助は、昔の100円札にえがかれていたほど有名な人物です。「板垣死すとも自由は死せず」という名言でも知られています。彼が作った「愛国公党」は、日本で初めての政党だといわれているんですよ。

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